青空教室
被爆前の広島市には、官公立あわせて41校の小学校(国民学校)があった。しかし被爆後も使用可能だったところは11校にすぎず、全焼19校、全壊5校、半壊6校という惨状で、復旧は容易でなかった。被爆直後、本川・袋町両国民学校のように鉄筋コンクリート建ての外郭だけ残った学校や周辺部で焼け残った学校は、どこも負傷者が収容され、臨時救護所となった。
1945(昭和20)年9月15日、県当局から学校を再開するよう指示があり、郡部へ学童疎開していた子どもたちは、広島市に帰ってきた。しかし、焼け跡で青空教室を開いたり、近くの焼け残った建物を利用したりと、まともに授業を再開できる学校はほとんどなかった。各学校の責任者は、それぞれ復旧計画を進めたが、物不足の時代でもあり、持ち帰った建設用材料が一夜のうちに盗まれたりして辛苦を重ねた。
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