| 用語解説
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| グレイ(Gy) |
物体が放射線を受けた量の単位。4グレイは半致死線量といわれ、50%は死亡するとされている。1年間に人体が受ける自然放射線量は0.001グレイである。 |
| アインシュタイン書簡 |
1939年8月2日に、アインシュタインがL.シラードらの要請により、ルーズベルト大統領にあてた手紙。ウラニウムにより新型爆弾がつくられる可能性があること、ドイツが開発する可能性があることを警告したもので、マンハッタン計画の発端となった。 |
| ハイドパーク協定 |
ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相が1944年9月18日、米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、日本への原爆使用と将来の核管理について申し合わせたもので、1972年に初めて公開された秘密協定である。 |
| トルーマン・ドクトリン |
アメリカの大統領トルーマンによって、1947年3月12日アメリカ議会上下両院合同会議の演説を通じて明らかにされたアメリカの基本的外交政策で、共産主義国の脅威にさらされた自由主義国の経済的軍事的援助を行うというもの。 |
| 核抑止論 |
核兵器の脅威で敵の侵略行為を抑制することによって平和の維持が可能だとする戦略思想をいう。この考え方のもとでは、相手よりもさらに強力な核兵器体系を持つことが必要であり、「力の均衡」「力による平和」を求めて、激しい核軍拡競争が展開されてきた。 |
| 朝鮮戦争 |
1950-1953
第2次世界大戦直後、朝鮮は北緯38度線を境として南北に分かれ、各々アメリカおよび旧ソ連が占領するところとなった。そして統一のための交渉が両者間で進められたが成功せず、その間南北両朝鮮の対立はますます激しくなっていった。そして、1950年6月25日、北朝鮮軍が38度線を越えて韓国に侵入し、戦争が勃発した。それぞれがアメリカを中心とした国連軍、中国義勇軍の支援を受けて3年間戦った後、1953年7月27日、停戦協定が調印され、休戦ラインの設定で、朝鮮半島は大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に分断された。 |
| キューバ危機 |
1959年1月、カストロによるキューバ革命が成功し、以来アメリカ・キューバ関係は悪化の一途をたどっていった。1962年l0月16日、航空写真によってキューバにミサイル基地が建設中であることが確認され、アメリカはその脅威にがく然とした。ケネディ大統領は10月22日、全米向け放送を行い、キューバに向けて輸送途上にあった攻撃的軍事装備の船舶に対し引き返すことを求め、アメリカもしくは西半球のいずれかの国に対するキューバからの核ミサイルの攻撃は、ソ連によるアメリカ攻撃とみなす旨を宣言し、さらにソ連に対しキューバからのミサイル撤去を求めた。そしてケネディ大統領は10月24日米軍に対しキューバ向け輸送の遮断を開始するよう命じた。当時航行中のソ連船が米海軍の臨検に応ぜず米海軍が撃沈した場合、米ソ両国に最悪の事態が発生することは明らかであった。同日、ソ連船は進路を転じ、最悪の事態はひとまず避けられた。一方息づまるような米ソ間の公式又は非公式の交渉が続けられたが、28日フルシチョフ首相は結局アメリカの要求に応じ、キューバからミサイルを撤去するよう命令した。かくて核戦争の勃発の危機は、その一歩手前で避けられた。なお、この事件をきっかけに米ソ両国は、偶発的な核戦争を避けるためのホットライン(緊急通信連絡線)を開設した。 |
| ベトナム戦争 |
1960-1975
フランスの植民地支配を受けていたベトナムは、旧ソ連や中国などが承認する「ベトナム民主共和国(北ベトナム)」と英米などが承認する「ベトナム共和国(南ベトナム)」に分裂し、武力衝突が発生した。アメリカは、「共産主義の侵略」から南ベトナムを防衛するため軍事援助を増強、次第に米・南ベトナム軍対北ベトナム軍の本格戦争の様相を呈していった。アメリカは50万人を超す兵力と近代兵器を投入し、「北爆」を行ったが、北ベトナムの反撃と国際世論の批判を受け、1973年1月のパリ協定により米軍は撤退した。その後北ベトナムの攻勢となり、1975年4月30日、ベトナム共和国は滅亡した。 |
| 臨界前核実験 |
プルトニウムなどの放射性物質が連鎖反応を起こし「臨界」に達する直前に実験を停止し、その間の放射性物質の反応などを調べる模擬核実験のひとつ。「未臨界核実験」「未臨界実験」とも表記されている。 |
| 世界遺産条約 |
正式名は、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」
この条約は、人類共通の遺産として保護すべき価値を持つ各国の文化・自然遺産を損傷、破壊の脅威から保護し、保存するために、その重要性を世界に呼び掛け、保全のための国際的な協力体制を確立することを目指している。1972年、ユネスコ総会で採択され、75年発効し、日本は1992年9月に加盟した。
世界遺産条約の締約国は、自国内の物件の中から文化遺産または自然遺産の候補を挙げることができる。その候補物件を世界遺産リストに登録するかどうかを決定する組織として、「世界遺産委員会」がある。この委員会は、締約国から選ばれた21か国によって構成され、年1回委員会を開催して、世界遺産一覧表への登録の決定を行なうとともに、傷ついた遺産の修復や保護に当たる「世界遺産基金」の運営に当たっている。
1996年12月現在、109か国、406件の遺産が登録されている。 |